グイド・フルベッキ 致遠館の学生群像 「フルベッキ群像」 モノクロ ラミネート加工


グイド・フルベッキ 致遠館の学生群像 「フルベッキ群像」 モノクロ ラミネート加工

天宝堂

880 円 (税抜き)

ラミネート加工「フルベッキ群像」モノクロ 裏面=44名の志士たちの名前を明記(予想) 大きさ:28.8cm×20cm 在米オランダ改革派教会から派遣されたオランダ出身の宣教師グイド・フルベッキとその子を囲み、上野彦馬のスタジオで撮影された44名の武士による集合写真の俗称。 西郷隆盛など著名な幕末の志士が写っているなどと吹聴されることが多いが、明確に誤りであると証明されている。「フルベッキ写真」、「フルベッキと塾生たち」とも呼ばれる。明治元年(1868年)頃、フルベッキが佐賀藩の藩校「致遠館」の学生らとともに撮った可能性が高い写真とされている。 この写真はフルベッキと、佐賀藩が長崎に設けた英学校「致遠館」の学生と教師を写真師・上野彦馬が撮影したものとされる。龍馬没後の明治元年10月27日(1868年12月10日)に致遠館に留学した岩倉具定・具経兄弟(岩倉具視の次男と三男)が写っていることや、撮影が行われた彦馬のスタジオ内の背景などから、慶応年間の撮影はあり得ないとされている。上野彦馬の一族である上野一郎は明治2年(1869年)の撮影であると推定しているが、岩倉兄弟などの長崎滞在の時期から見て明治元年に撮影された可能性のほうが高いともいわれている。 近年、その証拠となる写真も発見されている。明治元年10月8日(1868年11月21日)にフルベッキと佐賀藩中老・伊東次兵衛(外記、祐元)が致遠館教師である佐賀藩士5人(中島永元、堤薫信、中野健明、中山信彬、副島要作)と一緒に撮影されたガラス湿板写真(撮影者は上野彦馬)が見つかった。その写真の撮影日を裏付ける伊東次兵衛の日記の存在も知られている。ガラス板に写る致遠館教師5人はほぼ同じ姿で「フルベッキ群像写真」にも写っている。 「フルベッキ群像写真」に写っている致遠館の学生の名前も徐々に判明してきている。フルベッキ親子の両隣にいる岩倉兄弟をはじめ、折田彦市、相良知安、石丸安世、山中一郎など、維新の志士ほどではないにしても政治家や官僚としてのちの歴史に名を遺す人物も確認されている。 写真自体の実写に関する真偽については、賛否両論があって定かではないが、人物の生没年や関係など歴史談義に花を咲かせる写真として、歴史のロマンを感じたり、語り合ったりするという意味では意義深い写真である。

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